物心つく前から出かけるたびに車内でかかる歌謡曲に慣れ親しみ、歌を聴くと歌いだす子でした。
3歳頃から佐々木功さんに傾倒して毎日歌い倒していた。あの低音が出せないことが悩みの幼児時代。そのほか、男性女性問わず歌番組でかかる流行の歌謡曲や演歌も歌う毎日を過ごす。
幼稚園の頃に耳元で大声だされてから耳が聞こえにくくなった。
ある日、母に大学病院に連れていかれて、訳も分からないうちに喉のポリープ切除されて病院嫌いに。
ある日、母がミシンがけしてた時に床に落ちてたミシン針を踏んで針注射嫌いに。
小学1年の頃に母方の実家の法事の時にカラオケで演歌を披露した時をきっかけに親戚一同から盛大に称賛を受け、以後年中行事や法事で集まるたびにリクエストされることが常習化する。
小学2年の頃から健康診断で難聴再検査を受けるようになる。
書道と形態模写とスケッチにハマるも飽きて長続きせず。
小学3年の頃から毎日の夕方アニメやドラマや劇場アニメの全セリフを数回で完全に覚えて再現する能力を発現。
この頃、世の中にある様々な音を声で再現表現することに興味を持って再現をしていたら変なあだ名をつけられる。様々な発声の仕方を身に着ける機会の一つになった。
小学5年から学内行事でのメロディの聞き取り学習に難が出始めるも、歌詞は空耳でもメロディーラインを推測してトレースする技術を身に着ける。
中学1年から学内コーラスコンクールで全パートの声が出せる。
ビブラート、ミックスボイス、ハイトーンボイス、腹式呼吸身に着けていたことを後に知る。
丘の上の遮蔽物のない広い校庭で端から端まで声が聞こえるレベルの声量を持つ。
中学2年の頃に徳永英明さんの曲に出会いドはまりして、毎日朝晩歌うようになる。
その結果、声変りらしい声変りを迎えることなく成人する。
秋に肩を骨折して入院するも、病院の中でコーラスコンクールの曲を一人で練習する事になり、迷惑にならないように退院までの3か月ウィスパーで歌を練習する事で、声の出し方の幅が広くなる。
中学3年は激しい虐めで飛び降り自殺に及ぶも生き延びてから人生観が変わる。
高校時代も朝1時間歌ってから通学。帰宅後3,4時間歌い続け、GWは毎日カラオケ通いで店員に顔を覚えられるレベルで通い詰める。カラオケボックスでもNoマイクの地声が部屋の外まで漏れる声量を持つ。
とにかく歌うのが好きで、声の出し方そのものへの探求心と合わせて、歌唱での表現とは何なのか?脳裏でイメージするだけでは伝わらない。技術だけあっても伝わらない。人を感動させる表現とは何なのか、情景描写や世界観の解釈はどうすれば「人に伝わる」のか?という命題と向き合い始める。
高校を卒業して声優養成所に通う。
初心者向けの腹式呼吸の訓練に四苦八苦するも、結果的にすでに身に着けていた事を認識して初心者訓練に見切りをつける。逆に無自覚ビブラートの多用に気づいて、脱ビブラートに苦労する。
脱してからのビブラート再訓練で中途半端な仕上がりになったため、ボーカルトレーニングを受ける。
演技とミュージカルにハマる。
卒業公演で名前のない端役ばかり5つも獲得した結果、一人の脇役として再構成した役作りとしたことで、役作りとは世界創造に近い楽しみだと見出す。
表現の世界の共通点として、心の中でイメージした世界を膨らませて心象世界の具現化のように、自分の身体の外にまで心象世界を拡げてその世界を表現するイメージ。逆にその世界の中に自分がいるかのようなイメージを目指す。
その後…
カラオケでエフェクト嫌いをこじらせて、エコーもOFFがデフォに。
しまいにはマイクすら使わなくなった。
音の厚み…音圧も声量でどうにかできないか苦心惨憺の果てに
Noエフェクトという自己満足へのこだわりよりも、聞いてくれる人のためにエフェクトと共存していくことを覚える。